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持続的競争力研究会「江戸の老舗」視察(11月10日) 開催報告

去る11月10日(木)、千葉県生産性本部、埼玉県生産性本部、神奈川県生産性本部 共催にて、持続的競争力研究会「江戸の老舗」視察が行われました。当日は約30名が参加し、千疋屋総本店、築地玉寿司、にんべんの3社へ訪問。各社のトップから数々の困難を乗り越え、成長を持続させてきた経営の要諦を直接、伺うことができました。

千疋屋総本店
日本橋に本社を構え高級フルーツを扱う千疋屋総本店は、天保5年(1834年)、武蔵国埼玉郡千疋(現在埼玉県越谷市)で槍術道場を開いていた武士弁蔵が葺屋町(現日本橋人形町)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、果物と野菜類を商う露天商を構えたが始まりである。その後、二代目文蔵の妻むらが料亭に水菓子を納め、そこの顧客が各界の名士であったことから、次第に高級化路線を歩み始めることになった。
三代目大島代次郎は明治へと時代が大きく変化すること対応して、海外から果物を輸入するとともに、国産果物の品質改良にも取り組み、我が国初の果物専門店へとビジネスを進化させた。事業拡大に伴いのれん分けも行い、中橋千疋屋(現京橋千疋屋)、銀座千疋屋なども生まれた。当時としては珍しい洋館の本店を室町に建て、英語で書かれた西洋風リーフレットなども取り入れ、商品だけでなく先進的なデザインを用いたブランド戦略を展開した。扱い商品とデザイン戦略が功を奏して、高級果物専門店としての地位が築かれていったのである。
六代目となる当代大島博社長は、こうした歴史的資産を継承し、時代に合わせたブランド戦略の再構築に挑戦している。店是「一客、二店、三己」と家訓「勿奢、勿焦、勿欲張」(奢ることなかれ、焦ることなかれ、欲張ることなかれ)を精神的支柱として、「ワンランク上の豊かさ」をコアバリューに、商品、店舗など多くの要素を組み合わせて、千疋屋総本店のブランド・アイデンティティをさらに強化している。

築地玉寿司
大正13年(1924年)築地の地に、27歳の中野里栄蔵が妻ことと一緒に高級寿司店を開業したことに始まる築地玉寿司の歴史は、江戸前寿司の伝統を守りつつ、その可能性に挑戦し続けた歴史でもある。初代栄蔵が苦労して築き上げてきた店も戦争の渦に巻き込まれて焼失し、失意の内に亡くなってしまう。店を継いだ二代目ことは四人の子供を抱えつつ、ゼロからの再建に取り組み、店を発展させた。
家業から企業へと成長させたのは三代目孝正(現会長)である。渋谷東急プラザの駅ビル開発に呼応し出店して成功を収め、そのノウハウに基づいて駅の商業施設や駅前に多店舗展開することになる。いち早く明朗会計を打ち出し、カウンター席で安心して職人と会話を楽しみながら寿司を食べるという、寿司屋ビジネスの変革にも挑んだ。日本で始めて手巻寿司「末広手巻」を開発して、食べ方でも新たな提案を世に出した。
順調にビジネスを伸長させていたものの、バブル経済が崩壊して大きな借金を背負うことになる。四代目で現陽平社長とともに、再度、再建に取り組んだ。社員には、減給せず雇用を守ることを約束しての再建である。再建にあたっては、自社の伝統であり強みでもある、笑顔で心を込めて職人が握る寿司を提供することを核として、これを極めて、磨き上げることを経営戦略とした。「私たちは海の幸の美味しさに真剣です」を経営理念に掲げ、職人の現場力を基盤として、伝統である顧客ニーズに応じた新商品、店舗づくりに邁進している。現在、29店舗を構え、伝統に基づきつつも新たな江戸前寿司を提供している。

にんべん

元禄12年(1699年)、初代髙津伊兵衛が日本橋に鰹節などの乾物類を扱う商いを、伊勢屋伊兵衛の屋号で始めたのが、にんべんの創業である。伊勢屋と伊兵衛の伊の字からとった暖簾印の「カネにんべん」から、伊勢屋ではなくにんべんと呼ばれるようになったのが社名の由来である。実際、個人商店伊勢屋伊兵衛から大正7年(1918年)には株式会社髙津商店へ、そして昭和23年(1948年)に株式会社にんべんへと社名を変更している。
享保5年(1720年)には現在の室町に移転して、現金掛値なしの良品廉価主義を掲げて鰹節の現金商売を始めた。定価なしで相対で値決めし、年二回の決済が当たり前の当時としては、新しい商売スタイルの導入であった。また、銀製の商品券を発行してキャッシュフローの良いビジネス形態を導入したのも先駆け的な動きであった。こうした商売での成功により、江戸時代、名字帯刀まで許されるまでになった。
長期間にわたって商売を続けると、大きな景気の波に翻弄されることは常である。にんべんの歴史も例外でなく、順調に成長し続けたわけではなく、幾多の危機的状況に見舞われた。しかし、その都度そうした波をビジネスの革新、新商品の導入で乗り切ってきた。近年で言えば、昭和39年(1964年)のつゆの素、昭和44年(1969年)のフレッシュパックが代表例である。
当代高津克幸社長も、そうした革新の血を受け継いで、時代に合わせて新たな市場開拓に歩みを進めている。本枯鰹節をコアとして本物の味を伝え(伝承)、次世代に向けて新しい和食の魅力を提案し(創造)、伝統と創造を融合しようと、新たな商品そして事業に挑んでいる。

今回訪れた老舗は、いずれも創業以来培ってきた中核的な強みである無形資産(ブランドや経営ノウハウなど)を継承し、それを維持するだけでなく、時代に合わせて新たな事業展開に結びつけ、強化している。企業個性(その企業らしさ)を失わず、持続的な競争力を構築するためのマネジメントの秘訣を多く学べた。

以上